挑戦は勇気をつくる
勇気ってなんだろう
「君はお人好しだね」なんていわれることがあります。
きっとそれは人からの頼みをハイハイと受けているのを頻繁にみられるからなのかもしれません
たしかに人から頼みごとをされると、面倒くさいなぁとか自分にできるのかな、責任押し付けるんじゃねぇよ!と思うこともしばしばあります。
しかし、頼みごとを受けるということにメリットがたくさんあるって知ってました?
**講師がビラ配り
ぼくは現在、塾の講師をやっています。
いかんせ不景気なこの世の中、うちの塾には講師がほとんどいません
なのでぼくは塾の講師としての仕事以外にもさまざまなお手伝いをしたりするんです。
今回は「ビラ配りお願いできますか?」と教室長から頼まれました
最初はネガティブなイメージが湧きあがりました
「地元でビラ配り!?恥ずかしい!」「ひとりじゃ心配」「受け取り拒否されたらどうしよう」「知り合いにみつかったら・・・」
そんなモヤモヤしているうちに、ふとある言葉を思い出したんです
・・・ぼくはそのある言葉を信じ、ビラ配りを承諾しました。
**たかがビラ配りされどビラ配り
ビラ配りくらいなんてどうということないだろう?みなさんもきっとそう思うでしょう
ぼくだってそう思います。思ってました
駅前でビラを用意し
「こんにちは!○○塾です。よろしくおねがいしまーす」といいながらビラを配る
これだけです
たったこれだけなんですが、実際やるとなると結構勇気がいるんです
一度指定された場所にいくも、どきどきしてしまい近くのスーパーにかけこみ
トイレで深呼吸をしてしまったくらいです
再度持ち場につき、ビラを持つもなかなかビラを配るのができないでいました
汗がぽたりぽたりと額から落ちていきます
するとまたある言葉があまたによぎりました。
そうだった・・・やるしかない!ぼくは勇気を振り絞ってビラを配ってみることにしました
・・・すると、用意していた大量のビラはあれよあれよともっていかれ、30分ちょっとで全部配り終えてしまったんです
意外にも通行人を観察しながらこの人はいけるだろうと思いながらトライ&エラーを繰り返すことがおもしろくなっている自分がたり、配りきったあとは満足感で満ち溢れていたり、配りきった自分に対し少し誇らしい気分にもなっていたんです。
**面倒くさいと思うかチャンスと思うか
ぼくが今回どうしてビラ配りの仕事を引き受けたのか
それはこんなある言葉からでした。
「恐怖という最大の敵も、自分が勇気ある行動を繰り返すことによって打ち負かすことができる」ナポレオン・ヒル
そして普段からお人好しにも人の頼みごとを断らないのかといと
実は頼みごとを受けるということにはたくさんのメリットがあると知っていたからなんです
- 頼みごとを受けることによって相手からの信頼を得ることができる
- 責任を受け持つことで責任感が芽生える
- それが行ったことのないことならば、新たしい発見・体験をすることができる
- なによりも、勇気の育成になる
そりゃあもちろん断る勇気というのも必要です
頼みごとの際に「やれません」と断っていたら、その日は1日中映画をみながらお気に入りのバンホーテンのココアをひとり寂しくすすっていることもできたでしょう
しかし恐怖を理由とした断りはただの逃げでしかありません
きっと断りをいれていたら、ぼくはなにも学ばない1日を過ごしていたことでしょう。
勇気とは、挑戦した数だけ強くなっていくのではないでしょうか
今回の出来事も大きなことではありませんでした
しかしそんな程度のしれたことでもぼくにとっては勇気をつける機会であり、自分の考えを改めて確認することのできた良い機会だったのです。
これからもどんどん挑戦していき、勇気を身につけていきたいと思います
そんなわけで、今日も愛が止まらないぼくちゃんでした。ばいちゃ(・ω< )
岡村靖幸のホームページがすごい
岡村 靖幸 (おかむら やすゆき、1965年8月14日 -)は、日本のロックミュージシャン、音楽プロデューサー。兵庫県神戸市生まれ。血液型B型。愛称は岡村ちゃん。
歌中で「シンガーソングライターダンサー」と自称するほどの独特のダンスで、ライブ・パフォーマーとしての評価も高い。本人自らが各所で語るように、米国のミュージシャンプリンスの影響を多大に受けている。
‐wiki引用‐
この曲、ずーっと聞いていたくなっちゃう ・・・!!?
そんなわけで、今日も愛が止まらないぼくちゃんでした。ばいちゃ(・ω< )
大学生活4年間はなんだったのか
なかまがくれた名刺入れ
卒業式がありましてん
先日ぼくも晴れて卒業式を迎えることができまして
長いようで短いような大学生活4年間も幕を引くこととなりました
一生に一度しかない大学での卒業式の日、ぼくはその学生生活4年間とはなんだったのかというのを考えさせられることがありました。
偶然にもお世話になったひとたちに立て続けに出会う
不思議なことですが、卒業式というこの日
大学生活の中でお世話になった方々と偶然にも、しかも立て続けに会うことがあったんです。
・部活動の仲間
ぼくは体育会の合気道部に所属していまして3年間ではありますが合気道をやっていました。
大学の部活動ですから稽古のつらさはもちろんのこと先輩、同期、後輩たちとの対人関係。他大学、連盟、本部道場、教えをいただいている道場などの人たちとの関係づくりなど、手を取り合い仲間とともにやってきました
楽しくやることはもちろんありましたが、ときには喧嘩したりときには励ましあったりと苦楽をともにしてきました。
そんなぼくの大事な仲間がこの日、送り出しをしてくれたのです。
本当にいろいろあったけど、助け合ってきたこれまでのことは忘れません。ありがとう
・学友
基本的ににぼくは団体行動がきらいで、いわゆる”つるむ”ということをしてきませんでした。授業をいっしょにとったり、連れションにいったり、つくえを囲ってランチ、なんてことは好きじゃなかったんですね
どちらかというとさまざまなグループに顔をだしてはまた別のグループに顔をだすという
広く浅い交友関係を保っていたように思います。
なので卒業式当日はだれとも約束もせずに出席する予定でした
それなのに、そんなひとりでいるぼくを学友たちは見つけだし、いっしょに行こうと声をかけてくれたのです。素晴らしい友人をもてて本当にうれしい、ありがとう
・恩師
式が終わり会場をでようとすると、偶然にも大学での恩師にばったり出会いました
彼はぼくがこの大学で唯一尊敬する先生で、とても高名でひとかたならぬ人物です。
偶然の再会に胸躍り、ついついはしゃぐぼくに先生はお祝いのことばとともに、新社会人になっての心得を教えてくれました
まず3日したら辞めたくなる、そこは我慢。
次に3カ月したら辞めたくなる、でも我慢。
3年したらまた辞めたくなる、それでも我慢。
そうしたらあとは大丈夫だから
先生の長い経験の中培った知恵を叱咤激励として教えてくれたのです。
心から嬉しかったです。先生、ありがとうございました
・社会人の友人たち
ぼくが今後もひんぱんにお世話になるだろうという人たちがいます
それは就職活動のなかで、ひょんなことからなかよくなった社会人の人たちです。
出会いはどうあれ、もう完全な友達状態なのですが、やはり人生の先輩であり社会のきびしさを知っている人たちです。いつも勉強させてもらっています。
卒業式の後、そんな彼らとパーティーを開きました、卒業とは関係のないものです
卒業とは無関係のパーティーにも関わらず、パーティーに訪れる人訪れる人に
「おめでとう」のことばをかけてもらいました。
たったひとことですが、たくさんの人にいってもらえるということは、すごく贅沢なことなのだと思いました。それがとにかくうれしかった。
若輩のぼくといつも対等に接してくれて、仲良くしてくれるみなさんに、ほんとうに感謝です。ありがとうです。
大学生活4年間で得たものとは
学校生活、部活動、恋愛、就活、これらをとおして数多くのひとたちと出会い
多くの刺激をもらいさまざまなことを学んできました。
この日に会ったひと以外にもたくさんの方たちとのご縁がありました
その出会いをじっくりと思い出すだけで今でも感謝の念がふつふつと沸いてきます
ぼくがこの大学生活のなかで得た、いちばんの宝物というもの
きれいごとではなく純粋に感じた思い、それが
「めぐりあい」
であったとぼくは思います。
出会いをたいせつに。あたりまえで。あたりまえと思えないことに
そんなわけで、今日も愛が止まらないぼくちゃんでした。ばいちゃ(・ω< )
池上彰著の『伝える力』を読んだから伝えてみる
知性的なひと!
以前に一度読んではいたもののあまりピンとこなかったのがこの池上彰さん著の『伝える力』です
最近『伝える力2 』も新刊としてでたのもありまして、おさらいということで読み直してみました。
その中で身になるなぁとおもった点をお伝えしたいなと思います。
自分史からわかる、わたしの知らないわたし
だから人生はおもしろいんだ
突然ですがみなさん、自己PRって得意ですか?
就職活動でよく自己PRを~なんて話はでてきますが、これは就職活動にかぎったことではありません。
しごとをとってくるための営業でも、クライアントとの顔合わせ、ときにはパーティでの自己紹介などさまざまな面で自己PRは必要になります。
そう自分自身をアピールするひつようがあるのです。
自分自身をアピールする。まず自分をしらなくてはいけません
ではどのように自分をしっていこうか・・・・そうだ自分史を書こう!
そんなわけで 自分史を書いてみました。ぼくの自分史をダイジェストで公開しちゃいます
中学時代
内気なぼくは女子からいじめにあう
通称”暗黒時代”
この時代は絶頂期か低迷期で大きく別れる時代だと思います。ぼくは低迷期でした
今思えばこどものすること、全然大した事ことではないのですが、メンタルの幼いぼくにはつらいつらい3年間でした。
じぶんはなんでこんなにみじめなんだろうか?とじぶんを見つめたときでもありました。
そんなつらい中でもただひとつ
心に響いた言葉があります。それは先生からです
「人気者になりたいと思うなら、身近な人気者のまねをしろ!」
これを聞いてぼくはあたらしいステージの高校に期待を寄せました
高校時代
通称”ひと旗あげてやるぞ期”
なんてことない高校デビューを目指します。
ぼくの通っていた高校はオタクばかりが集まる高校で、いじめなど皆無でした(たぶん)
そんな温和な学校だったためか、ちょっと人気者をよそおえばかんたんにクラスの中心的人物になれてしまうんですね
先生から教えてもらった 人気者のまね だけで成り上がっていっちゃったんです
彼女もできます。一週間だけ(じつになさけない)
しかし幸せはそう長く続きません。
中学時代のコミュニケーション不足がたたってか、次第に中心グループからはずれるようになります。
これが高校一年の終わりのころですから、そこから二年間ひなたの日々をすごしました・・・
人間関係には恵まれなかったものの、地味に続けていたブログ(IT系)が人気をはくし
雑誌のライターやIT関連の本に名前が載るなどネットではまぁまぁ往生していた時期でもあります
とわいえ大切なのはコミュニケーション能力。これをしっかり伸ばしていかねば。。。
大学で鍛えるしかない!?
大学時代
まさかの絶頂期がくる。
通称”恋と就活と成長期”
ひょんなことから合気道部に入部する。
そこでぼくは産まれてはじめてのひと目ぼれをしてしまうのです
同じ部活の先輩で、素朴だけれど笑顔の素敵なひとでした
恋のチカラはすごいものでして、運動大嫌いインドア野郎のぼくがそのひとに会いたいがため
ほぼ毎日休むことなく部活動に出続け、なんと意中の先輩を射止めることになります。ココが人生のピーク!
好きなひとに好きになってもらいたいという気持ちはコミュニケーション能力を引き上げ(実際にはそのような行動をとらせる)、また部活動、体育会という存在もぼくのコミュニケーション能力アップに大きく寄与してくれました
まぁ、結局彼女にはふられてしまうんですがね・・・(絶望期です・・・)
その後3年生になり、就職活動が始まり、「社会とは」 を考えさせられるようになります
この間は社会人になるにあたって濃い活動を行うことができたと思います
純粋に選考を受けたり、 就活サークルにはいったり、セミナーや勉強会に参加したり
とある会社の社長さんとごはんを食べにいったり。
また自己啓発本にもめちゃくちゃハマっていました。
そういった行動や出会いのおかげか、無事内定も獲得することができました
これらの活動はコミュニケーション能力に大きく貢献するのはもちろん、自分自身の根本的な考え方をも
変えてくれるきっかけにもなりました
そしてこのときは人生の選択をした時期でもあります
それは、留学をするのか、就職をするのか ということをです
内定をもらったからといって今すぐ就職する必要はないのではないか?という気持ちからでした。
二か月ほど悩んでいました
結果、いまのわたしは就職をえらびました。
さて、この判断でどうでるのか。たのしみです。
総括してみる
・20年とちょっとの人生だが挫折と奮起を繰り返して生きてきた
⇒ 挫折しては奮起し挫折しては奮起するという折れない心がぼくにはある(自分を知る)
・その中でも恋愛は自分を成長させた
⇒ 人を愛するということがじぶんの生き甲斐でありエネルギーになりえる。恋人はエネルギー製造器でもあるのだ(自分を知る)
・就職活動で得てきたことはいまのじぶんには欠かせない要素だ
⇒じぶんのしてきた行動により、それが結果となって表れるという因果について自ら体験することができた(真理を知る)
自分史、いがいとおもしろいことがわかったりするんです。客観的にじぶんをみるって結構発見があるもんですね
ぜひみなさんも自分史を書いて、じぶんのことを客観的に見てみてください。そしてあなたの見えてこなかった強みをぜひ見つけてみてください。
そんなわけで、今日も愛が止まらないぼくちゃんでした。ばいちゃ(・ω< )
振り子
何度見ても号泣できる愛の物語、二度見て二度号泣しました
元ネタ
鉄拳すげえわ『泣けるパラパラ漫画振り子』
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4145260.html
そんなわけで、今日も愛が止まらないぼくちゃんでした。ばいちゃ(・ω< )
B-29と女性
あんまくわしくないけどかっくいいね
1945年、戦時中アメリカ軍による空襲の被害を受けていた
その年の中でも3月10日、4月13日、4月15日、5月25日の空襲は大規模であり
俗に言う「東京大空襲」 が行われた年である。
うちの祖父(じいちゃん)は当時その空襲を目の当たりにした数少ない日本人になるのだが
今日ちょっと興味深い話をきいた。
その年、そとを出歩いていたじいちゃんが空を見上げると大きな音とともに戦闘機がバラバラになって落ちるのを見たそうなのだ
どうやら放射砲によって撃ち落とされたらしく、近所の田んぼに落下した
これは見に行ってみよう!と落下地点に近づいてみるとなんとあのB-29航空機
驚いたじいちゃんは 駆け寄り乗員の捜索にあたったのだが、結局みんな亡くなっていたそうだ
しかしまた驚いたことにその中にひとりだけ女性の乗員もいたのだそうだ。
あの女性の人はいったいどんな役割でのってたのかなぁ~?
とじいちゃんは今でも不思議そうにしていました。
http://www.warbirds.jp/ansq/12/A2003706.html
とそんなわけで調べてみたのですがやはり諸説いろいろあるらしいですね。
中には女性を乗せているはずがない、なんて意見もありますが、少なくとも本人が見ているのでまず乗っていたのは間違いないのではないのかなと思います。
報道員や通信兵であるなんて意見もありましたね。
余談ですが、バラバラになったB-29のエンジンを家にもって帰ってきたのだという。
じいちゃんらしいといえばじいちゃんらしいなほんと
そんなわけで、今日も愛が止まらないぼくちゃんでした。ばいちゃ(・ω< )